あんぱん屋

SUGIUCHI VS NAKAMURA


 いつからだろうか、野球中継の画面の右下に投手と打者の対戦成績を表示するところにこういう表示をしているテレビ局がある。野球好きな母は高齢なのでこれがなんて書いてあるのか読めない。

 野球のことに限らず母は時々言う。ここは日本なんだから日本語で言えばいいのにと。ピッチャー、キャッチャー。ストライク、ボール、アウト。野球に関していえば元々外国から来たものだから仕方ない面はあると思うし、そもそも日本の明治以降の近代史を考えれば外国の文化を取り入れることにチカラを注いできた歴史がある。その反面で日本古来のものは古いとかいう理由で切り捨ててきた。もっともそれは明治以降に限らずもっと大昔からそうだったから何をもって日本古来とするのかという別の問題になってしまうけれど、それはそれとして、だからといって SUGIUCHI VS NAKAMURA っていうのは確かにどうなんだろう。せめて人名くらいは漢字を使うべきだと思う。


 こういう話しを言ってること自体が既に年寄りじみているような気がしないわけではないけれど、問題にしたいのはそういう風潮を良い傾向、素敵なことだするはどうなのだろうかということ。社会人でもよく居るのは何処かで読み聞きした横文字を自慢げに織り交ぜて言いたがるような人。あれは聞いていて恥ずかしい。(アホじゃねぇの?)っていつも思う。


 言語の種類がどれほどあるのかは知らないけれど、日本語というのはその中でも稀なほどの美しい言葉だと聞いたことがある。Baseball を野球と銘々した正岡子規は偉いな。



 カメラのことを写真機という母。そんな母も球審に関しては球審とは言わずにアンパンヤなんて言ってるのだけれど、(それ違うよ)とは言わないほうがいいと私は思っている。